みなさまのおかげで平野鈑金工業株式会社は、1950年の創業から数えて70周年を迎えました。
大変ありがたいことに、現在では「技術のヒラバン」として、岐阜県はもちろん他県のお客様にも親しまれる「行きつけの車屋さん」として成長することができました。

ヒラバンの創業は戦後間もない1950年、平野鈑金工業所として創業者(先代)が自転車に工具を積み、当時はまだまだ大衆のものではなかった自動車の出張修理を行ったことから始まります。
自動車の部品供給はおろか、物資も不足していた時代。この頃の鈑金職人は、1枚の鉄板を叩いて部品を作り出して修復するという、たいへん高度な技術が求められました。
腕のよさと人柄が評判を呼び、多くのお客様にご指名いただけるようになっていったそうです。

高度経済成長期を前に、より多くの依頼に応えるべく自社工場を構えての作業にシフトし、スタッフも大幅に増員。
その当時からずっとヒラバンの技術を支え続けていることがあります。それは「スタッフの専任化」。
「鈑金塗装」と、ひとくくりによく言われますが、「鈑金」「塗装」の各作業は、それぞれ全く異なる技術を要します。
業界では両方オールマイティに作業をする技術者も多く存在しますが、ヒラバンでは、各スタッフが1つの技術を集中的に磨き続けることが、結果的に作業の合理化&品質向上に繋がると考え、現在も徹底して行っています。

そして、モータリゼーションの夜明け前、東京オリンピック前年の1963年5月、「平野鈑金工業株式会社」設立。
当時は、現在地の岐阜市中鶉の他に、岐阜市花月町・大垣市にも中小規模の工場を構えた体制で営業していました。
1986年には、更なる修理品質向上と納期短縮、新たな自動車板金塗装工場のスタイルを求め、3拠点の工場を現在の場所に集約し、最新鈑金塗装設備が整った県下最大級の大型新工場(現:鈑金専門工場)と来店型の店舗を建設。
1970〜80年代に岐阜の各地で道路や橋の整備が急速に進み、1拠点で効率の良い商売ができるようになったことは、ヒラバンにとって大きな躍進の好機となりました。

1997年には、最上の塗装環境を実現した、業界でも画期的な2階建ての塗装専門工場を新たに併設し、既存の工場を鈑金専門工場に改築。これにより鈑金・塗装各作業スペースも、従来比2〜3倍になりました。
工場の専門化&スタッフの専任化という現在の体制が確立し、「技術のヒラバン」ならではの、よりハイクオリティで確かな修理仕上がりを提供することができるようになったのです。

今や自家用車は生活必需品であることはもちろん、自動車の性能も、時代とともに大きく進化を続けています。
修理スタッフの技術も、創業者から継承する高度な技術を礎に、自動車の進化に合わせて磨き続けています。
2018年11月には、高度化する次世代自動車の修理を適正かつ安全に行える基準を満たした工場である
「先進安全自動車対応優良車体整備事業者」の認定を受けました。
そして、2020年4月に国土交通省より施行された「特定整備事業認証制度(※)」においても、
いち早く対応し、同月に国交省中部運輸局より認証を受けました。
(※従来の分解整備の範囲が拡大、特定の電子制御装置(カメラ・センサー等)を装備した車両の整備に必要な認証)
「お客様の大切な愛車を元通り修復し、安全で素敵なカーライフを安心して過ごしていただけること」
創業から変わらないヒラバンの思い。それが、妥協のない修理技術の追求につながっているのです。
これからもスタッフ一同、創業からの思いを忘れず、自動車板金塗装修理プロショップとして更なる修理技術&お客様満足度の向上を目指していきたいと思っております。今後もよろしくお願いいたします。
(かなりの長文、最後までご覧いただきありがとうございました。) |